フリーランスのデザイナーで仕事を手伝ってもらっている後輩がいるのですが、ブログのネタが困っていたので「なにか質問とか、書いてあったら良さそうな小ネタある?」と相談したところ、

結局アートとデザインの違いとはなんなのでしょう。世間ではいろいろ言いますが、例えばAwwwardsに載ってるようなサイトとか表現の意図など読めず、桑沢とかの卒業制作を見てても、背景を知らないだけかもしれませんが問いを強く感じるものもちょいちょいある気がします。
そもそもデザインとアートが融合したのが今の当たり前なのか、というか最初から2つは繋がったものなのか、一周まわってわかりません。
(UIとか明らかにこれはデザインだろう、アートだろうというのが存在するのもわかるのですが)

という宇宙みたいな話題を振られてしまい途方にくれています。
3月の頭に言われて、かれこれ2ヶ月くらいそのままにしてしまいました。

そのあと新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響が深刻化し、完全リモートになりました。
日々刻々と変化する生活の中ですこし感じることがあり、まとめて記事にできないかと頑張って書いてみています。


結論から言えば、 物事をアート寄り、デザイン寄りと1つの数直線のように表すことはできないし無理に表す意味もない 、と考えています。

デザインは〜、アートは〜とそれぞれ特徴を挙げて違いを際立たたせることは、似ているように単純化することでかえって分かりにくくしているように感じます。


名前というのはとても便利なものです。
「デザイン」という言葉1つで多くの事象を説明することができます。

要素を並べ、関連性を考えながら配置してテキストを入力し、文字の組みを整えて写真の色のトーンを修正しつつトリミングしてから全部を上手に整えて……
みたいなことは一言、 「デザインする」 という言葉で表すことができます。

デザインとはなにか、という説明で僕が一番しっくり来ているのはポール・ランド氏の以下の言葉です。

「Design is relationships. Design is a relationship between form and content.(デザインとは関係である。形と中身の関係だ)」
ポール・ランド、デザインの授業 | 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社より

アートはなんでしょうか……。分かりませんが、デザインは「デザインする」という使い方をするのに対して「アートする」、という使い方はあまり聞きません。

意図してそれを行うというよりも、結果としてそうなるという事象や現象を表しているようなイメージを受けます。

なぜ単純に2つを比べずにそれぞれに面倒な説明をするのかというと、 複雑な事象をシンプルに削ぎ落として比べられるようにする、というのは良いことだけではない 、と思っているからです。


話は変わりますが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染を避けるため、「三密を避けよう」というメッセージが繰り返し発信されています。

東京都は国内で最も感染者数が多い*場所になっています。HIKAKINとのコラボ動画などメディアを積極的に利用したり、感染動向を専用の対策サイトを立ち上げて情報を常に発信しています。
※2020年4月29日時点で4,106名
都内の最新感染動向 | 東京都 新型コロナウイルス感染症対策サイト

この三密(密集、密閉、密接)を避ける、というフレーズはとても分かりやすく、上記のようなメディアの中で繰り返し発信していて、かなり定着していると思います。

だらだらと危ない行為について列挙するより伝わりやすいメッセージとして、 避けるべき状況に名前を付けた 、とも言えます。


共通項を見つけ、シンプルにして名前をつけるという行為はまさしくデザインそのものです。
デザインされ人に伝わることは良いことです。ただ、弊害が潜むこともあります。

秦康範 Yasunori HadaさんはTwitterを使っています 「少し修正しました。 リスク情報が、情報の出し手の意図に反して、安心情報として伝わってしまうメカニズムを図にしてみました。リスク情報が、命題の「裏」として伝わってしまうことと、リスクはグラデーションを持っていることを説明しています。 https://t.co/v40toKJ7W4」 / Twitter

↑これはたまたま見かけたツイートですが、メッセージをシンプルな名前にしたことによる弊害をとても的確に解説してくださっています。非常に分かりやすいのでぜひ見てください。

物事を単純な構造で説明できることは稀です。
白の反対は黒だ、と定義してもその間には無限のグレーがあります。どこからが白でどこからが黒なのか、それは決めることができません。

決めたとしても、また名前と名前の間にグラデーションができるだけです。


一応補足すると、三密という名前が悪いとは思いません。
徹底して言葉を統一し、人の脳に刻み込むつもりで発信し続ける態度は素晴らしく、この事態を絶対に収束させるという覚悟も感じます。

命名したことによる弊害があるとすれば、それは受け手が名前の前で思考停止してしまうからです。
三密は危険 = そうでなければ安心 、と都合よく受け取ってしまうからです。

密でなければジョギングをしても良いのかもしれません。ただ、マスクをしなくても問題がないとは言っていません。

なぜ三密を避けるのか、ということをよく理解する必要があります。
なぜ「三密」という名前が付いているのだろう?と考える必要があります。


アートとデザインも同じです。
顧客の課題を解決する表現をアートと呼ぶこともあれば、自分の欲求を実現するために作ったデザインが成立することもあります。

アートとデザインは、終わりのある直線の両端にあるものではありません。
アート100 = デザイン0ではありません。

それらは別々に、なぜそうあるのかを考えることがまず必要なことです。


SWITCHインタビュー達人達という番組で、養老孟司さんが
「名前を付けるとは物を切るということ」
とおっしゃっていたことを覚えています。

ここまでが安全、ここからが危険。
こうなればデザイン、こうすればアート。

抽象的だったり複雑な情報を切ってしまえば食べやすくなるのだと思います。
ただ、それ以外の物事を捨てているかもしれません。


すごく遠回りになりました。

アートもデザインも、そう呼ばれているものは理由があり、2つを並べて違いがあるから呼び分けられてるものではありません。
そもそもが違うものなのでそう名前が付いているだけです。

単純化して比較できるようにするのはデザインの中でも有効な手法ですが、
思考を放棄して受け入れてしまえば毒にもなります。


複雑なことを複雑なまま人に伝えるのは難しいなと、
そういうことを在宅で働きながら考えています。