面白いUIをつくる時代の終わり、という昔話
2019.08.02
先日、デザイナーの友人に「ECサイトを作っている。テンプレートを組み合わせるだけでできるし、そうしてくれと言われる。ウェブデザインのデザイナーとしての将来性ってあるのだろうか?」と聞かれた。
あー……そんなこと考えたことなかったな、と思いつつ「なにを作るべきか決めるところから入っているから、いろいろやれることはあるよ」と返した。
この答えは半分ごまかしだと思う。コンテンツを考えるのはディレクターやプランナーの仕事だ。デザイナーが考えてももちろん良いし、その方が望ましいこともある。でも聞かれたのはそういうことじゃなかったように思う。
話をしながら、面白いUIを作る自体は終わったしなー、というようなことも思った。
「面白いUI」と聞いてなにを思い浮かべるだろうか。
僕が思い浮かべるのはFlipboardのページめくりやPathのメニューなど、iPhoneが爆発的に普及した頃のアプリなど。
もう少し時間を戻せば、縦にも横にも開く折りたたみガラケーなんかもあった。あれをUIと呼ぶかは謎だし、今思えばあのギミック自体も本当に謎だったな。(でも好きだった)
最近だとNitendo Switchなんかもコントローラの扱いが面白い。話題になったこのゲームも良い動きっぽくて欲しい。
話が逸れてしまった。例えがハードばかりだけど、僕の中で面白いUIというのはある種の“ギミック”を備えているということが言いたかった。
ただ、ある程度こういったものたちに触れている人なら思っただろうけど、この話題はすでに古い。ギミックの多いUIが減り、象徴的だったスキューモフィックなカメラアイコンがきれいなグラデーションになったのは割と前の話だ。
ギミックが必要なくなった、という話題自体が昔話なのであれば次はなんなのだろう。
面白くて変なUIを作ることがデザイナーの役割ではない。そんなことは知っている。
課題解決がデザイナーの役割だ。そんなことも知っている。
でも、フラットでモダンなUIパーツ集を組み合わせるだけがデザイナーの仕事だろうか。
どちらかというと逆なのだと思う。
限られたUIを組み合わせることに変わりはない。ただそれは、やることが少なくなったのではなく、アニメーションやユーザフロー、コンテンツに至るまでのすべてをコントロールする「求められることが増えた」状態なんだと考えている。
作品を作るように画面に向き合うのではなく、ユーザに向かい合うことが良しとされるのは、少しだけ寂しさもある。でもそれはバランスの問題だ。
「誰が作っても同じ」をいかにして「自分だから作れた」にするかは見た目だけがすべてじゃない。考えるだけがすべてでもないけど。
なんか書きたいな、と思って最近感じたことを書いたけど本当にただのポエムになっちゃった。
会社のブログだけど、人となりやどんなこと考えて仕事してるかを知ってもらいたい、という意味でリニューアルしたのでこれもありということで。