パスタ茹でられますか
2020.05.31
最近よく聞く「言語化」という言葉。言語化、すなわち言葉にすることが苦手な私がこれまでの失敗を通して感じている、言葉にすることが大切な理由を認識の共有・考えを整理するという観点で書いてみました。
例えばあなたが料理をしていて手伝ってもらっている人に「パスタを茹でる」ことを依頼する時に、その動作をどこまで言葉にできるでしょうか?
沸騰したお湯が入った鍋にパスタを入れるだけと考える人もいるでしょう。
そのお湯には塩が入っていて沸騰する温度が少し高くなっていて、パスタにも味がつくようになっている状態をイメージする人もいるかもしれないです。
さらにそこにはオリーブオイルが入っていて茹でているパスタがくっつきづらくなっている状態をイメージする人もいるかもしれません。
その時に利用するパスタの種類によっては、他に指定されることも出てくるかもしれませんし、用意すべき機材が変わってくる可能性もあります。
このように対象について、あなた自身の経験や時と場合、文脈などによって考える深さが変わってきてしまい、さらにそれを脳内で絵などのイメージとして補っているため「パスタを茹でる」という動作一つとっても相手に正しく伝わるとは限りません。
このように人によって頭の中で考えている内容が違うため、対象の事柄を定義してお互いの考えをすり合わせ、同じ目線で会話をするために言葉にすることが大切だと考えています。
なぜ言葉にすることを意識し始めたか
ここのところ私自身手痛い失敗が続いたりしたということもありますが、以下の二つの観点で書かれているようなことがあって改めて言葉にするという大切さを意識しました。
1. 認識の共有という観点
- プロジェクトで認識の齟齬が多発した
- 言い訳ですがリモート勤務になって文字メインのコミュニケーションになった際に、言葉足らずの指示によりお互いの考えがすり合わせできてないことが多発した
- 「あのタスクお願いします」の最終的なアウトプットの双方の認識がずれているため、二度手間、評価の低下、お互いのフラストレーション増加などを生んだ
- このプロジェクトはなんの為にやっているのか?というところの認識がずれてしまい、タスクの優劣への認識、コミットの度合いにばらつきが生まれた
2. 考えを整理するという観点
- リモート勤務でのパフォーマンスが低下した
- slackのtimesチャンネルを有効活用できるかできないかはその人の言葉にする力に依存している。オフィスにいる時は声でのコミュニケーションも取れたがリモートだと文字のみのため、人によっては困っていることをslackに流せず手が止まってしまいパフォーマンスが落ちた ※1
- 何が分からないかと言葉にすることは難しいが、考えを整理するためにはやる必要がある
- 自分が面白いと思うことを文章にしようとした時にできなかった
- なぜそれを面白いと思うのかを説明できないということは表現方法が自分の中にないという面もあるが、考えきれてなかった・整理できていなかった
言葉に出来るとは?
言葉にできるとはどういう状態なんでしょうか。
その状態とは、私は対象の物事について正しく表現・定義できている状態を指すと考えています。
先ほどのパスタを茹でるという例でも話した通り、頭の中で考えていることには脳がいろいろとイメージをサポートしてくれるので、自分の外に出して言葉にした際に言葉足らずだったり、そもそも考えとしてまとめ切れていない・考慮が足りていないなんて事があります。
そのため、正しく物事を表現し、自分の考えをまとめる、考慮漏れをなくすというためにも言葉にするということは大切になります。
言葉にするを練習するには?
方法は色々とあると思いますが、私はアナログ、デジタル問わず、書き出す事が一番良いと思っています。
メモに書き起こす、ブログにまとめるなどなんでも良いのですが、その際に自分は何について考えているのか、何を表現するために書いているのかを見失わずに書けるようになれれば、言葉にする力を手に入れたのだろうなと思います。
最後に
言葉にする事が下手な私と一緒に働いてくれている人には苦労をかけているだろうなと思うのと、これを記事にするとこんな奴の元で働くのは大変そうだな。。。というネガキャンにしかならない気もするのですが、これを見た誰かが意識するきっかけになればと形にしました。
しかし、このブログは本当に考えていることを言語化できていたのだろうか?
まだまだ言葉にすることを練習する必要がありそうです。
※1 弊社ではslackのtimesチャンネルに分報として、やっていること・困ったことなど流すようにしている。それを見た周りの人が手助けできる部分は手助けをするという仕組みを採用している。 分報についての説明はこちらを参考に。